盲ひし沼
午後六時(ごごろくじ)、血紅色(けつこうしよく)の日の光
盲(めし)ひし沼にふりそそぎ、濁(にごり)の水の
声もなく傷(きずつ)き眩(くら)む生(なま)おびえ。
鉄(てつ)の匂(にほひ)のひと冷(ひや)み沁(し)みは入れども、
影うつす煙草(たばこ)工場(こうば)の煉瓦壁(れんぐわかべ)。
眼(め)も痛(いた)ましき香(か)のけぶり、機械(きかい)とどろく。
鳴ききたる鵝島(がてう)のうから
しらしらと水に飛び入る。
午後六時、また噴(ふ)きなやむ管(くだ)の湯気(ゆげ)、
壁に凭(よ)りたる素裸(すはだか)の若者(わかもの)ひとり
腕(かいな)拭(ふ)き鉄(てつ)の匂にうち噎(むせ)ぶ。
はた、あかあかと蒸気鑵(じようきがま)音(おと)なく叫び、
そこここに咲きこぼれたる芹(せり)の花、
あなや、しとどにおしなべて日ぞ照りそそぐ。
声もなき鵞鳥(がてう)のうから
色みだし水に消え入る
午後六時、鵞鳥(がてう)の見たる水底(みなぞこ)は
血潮したたる沼(ぬま)の面(も)の負傷(てきず)の光
かき濁る泥(どろ)の臭(くさ)みに疲(つか)れつつ、
水死(すゐし)の人の骨のごとちらぼふなかに
もの鈍(にぶ)き鉛の魚のめくるめき、
はた浮(うか)びくる妄念(まうねん)の赤きわななき。
逃(に)げいづる鵞鳥(がてう)のうから
鳴きさやぎ汀(みぎは)を走(はし)る。
午後六時、あな水底(みそこ)より浮びくる
赤きわななき――妄念の猛(たけ)ると見れば、
強き煙草に、鉄(てつ)の香(か)に、わかき男に、
顔いだす硝子(がらす)の窓の少女(をとめ)らに血潮したたり、
歓楽(くわんらく)の極(はて)の恐怖(おそれ)の日のおびえ、
顫(ふる)ひ高まる苦痛(くるしみ)ぞ朱(あけ)にくづるる。
刹那、ふと太(ふと)く湯気(ゆげ)吐き
吼(ほ)えいづる休息(やすらひ)の笛。
四十一年七月
